■「30年間で約6倍」の驚き
1993年にJリーグは10クラブでスタートした。翌年にはベルマーレ平塚(現在の湘南ベルマーレ)とジュビロ磐田が、さらに1995年にはセレッソ大阪と柏レイソルが加盟し、またたく間にチーム数を増やすなかで、スタート当初の「熱狂」は冷め、バブル経済の崩壊もあって各クラブは現実的な経営を迫られた。しかしそうした社会状況でも、新たに加盟を望む団体、地域は引きも切らなかった。
1999年には2部(J2)が誕生、2014年には3部(J3)が生まれた。当初の10クラブは1府7県に分布するだけだった。しかし新たにいわきFC(福島県)がJ3昇格を果たした2022年、「Jクラブ」はJ1からJ3を合わせると58クラブ、その所在地は40の都道府県にわたっている。
Jリーグは、川淵三郎チェアマン時代の1996年に理念を実現するための「百年構想」キャンペーンを始めたが、二代目の鈴木昌チェアマンは、就任時の2002年に「100クラブにしたい」という夢を語った。J1とJ2を合わせたクラブ数がようやく28になった時代である。「百年構想」も「100クラブ」も、その言葉を聞いたころには「遠い夢」のように思われた。しかしいま、「30年間で約6倍」という数字を見れば、実現の可能性は十二分にあるように思える。
何よりすごいのは、関東から東海、近畿を経て中国までのいわば「東海道と山陽道」にしかなかったJリーグクラブが、いまや北は北海道から南は沖縄まで、40もの都道府県に広がっていることだ。現時点では7県が「空白地帯」だが、そのうち三重県にはカズ(三浦知良)の移籍で話題になった鈴鹿ポイントゲッターズと桑名市の総合スポーツクラブであるヴィアティン三重、そして奈良県には奈良クラブという「百年構想クラブ(準会員に相当)」があり、いずれもJ3のすぐ下のJFLに所属していて、ごく近い将来にも昇格が期待されている。