■人それぞれの人生の指定席
私の次男は湘南ベルマーレのサポーターなのである。といってもゴール裏で立ったまま1試合歌い続けるほどの体力はなく、しかも毎試合行けるわけでもないので、バックスタンドの指定席に座るらしい。すると、そう高くないメインスタンド越しに富士山が見えるというのである。富士山は平塚のほぼ真西に位置している。記者席のあるメインスタンド後方の通路まで上がると西に富士山が見えるのを知っていたから、そんなことには当然気づかなければならないはずだった。しかしバックスタンドからどう見えるのか、情けないことながら想像力に欠けていた。
「夏は、富士山の右に夕日が落ちるのが見えるし、とてもきれいな夕焼けになることがある」
その言葉で、平塚のスタジアムが最も美しいのは、初夏、午後7時キックオフの試合の少し前、西の空が茜色に染まったころではないかと思い至った。遠景には、美しい富士山のシルエットがある。そして近景は、照明塔に照らされて輝く緑のピッチと、薄暗くなりながらもしっかりと形のわかるスタジアムだ……。バックスタンドの背後にドローンを上げ、カメラを西に向けたら、こんな映像が撮れるのではないだろうか。
私はこよなく「たそがれどき」のスタジアムの光景を愛する。しかし何十年もずっと、キックオフ1時間前にメインスタンドの記者席に座り、ノートにメンバーなどを書いて取材の準備をし、両チームのウォーミングアップを見つつ、刻々と変化する空や雲などを楽しんできたのだが、いつも同じスタンドに座るのではなく、ときどきは逆のスタンドに座ることができたら、まったく新しいもの、それまでに見たことがないスタジアムの美しい一面が見られるのではないか——。ひとりの人間が直接経験できる人生の狭さを、改めて思い知るのである。