3月25日に行われる日本対韓国の親善試合。日本にとって特別な思い入れのある韓国との一戦は、多くの注目と期待を集めている。サッカージャーナリストの大住良之氏と後藤健生氏の2人が、実に54年間にわたる日韓戦観戦の蓄積から、多彩な角度の議論を戦わせる!
■「1967年の日韓戦はぼくが中学3年生で、大住さんは高校1年生だった」
―お二人の日韓戦の最初の記憶は、どの試合ですか?
後藤「ぼくは1967年10月7日です」
大住「まあ、あの試合ですよね」
後藤「あの試合ですよ。日韓戦と言えば、あの試合以外はあり得ないよね。メキシコオリンピックの予選です」
―国立競技場でおこなわれた試合ですね?
後藤「そうです、54年前の試合ですね。ぼくが中学3年生で、大住さんは高校1年生だった時ですよね」
―大住さんもいらしてましたか?
大住「ぼくは行けなかったんですよ、その試合は。オリンピック予選で、フィリピン戦から始まってずっとやっていたわけですけど、その1週間前の土曜日に、日本対チャイニーズタイペイの試合があって、それを見に行ったんです。サッカー部の練習をさぼって見に行ったんですけど、メインスタンドで日の丸を振っていたら、なんとその姿がニュースに映っちゃった。それでバレて、キャプテンから怒られて。当然、7日の日韓戦も行くつもりだったんですけど、その日は行けないで、練習で死ぬほど走らされていました。終わってウチに辿り着いて、なんとかテレビでは見れましたけどね」
後藤「ははは。あれを見れなかったのは一生モノの後悔だね」
大住「そんな思い出があった試合ですね」
―後藤さんは、なぜこの試合を挙げたのですか?
後藤「3対3なんて、一番面白いスコアでしょ? ナイターで小雨が降っていて、グラウンドはグチャグチャ。そういう天気の時って、すごくゲームに集中するじゃないですか。カラッと晴れた暖かい午後4時とかだと、試合が面白くても眠くなっちゃう。そんな試合環境も含めてね。日本が前半2対0でリードして、後半に追いつかれて、また突き放したら追いつかれて。それで、最後の最後に韓国が放ったシュートが、クロスバーにバッカーンと当たって」
大住「あれは、なんていうかな。バッカーンというより、カーンっていう金属音だったよね。泥んこの試合だから、ボールも泥んこなわけですよ。そのボールがバーに当たったところに土の跡がずっと残っていたよね、国立競技場に行くと」
後藤「そうそう。なんで拭かなかったんだろうなって」