■「あの試合が無かったら、いまの自分はなかったかもしれない」
―音まで鮮明に覚えてらっしゃるんですね。
大住「やられた、って思ったもんね」
後藤「あとから聞いたら、キーパーの横山謙三さんは絶対に入らないと思った、って言っていたけどね。本当かどうかは分からないけど」
大住「ジャンプしながら見送っていてね」
後藤「あの写真はいい写真だったな」
―スタジアムの雰囲気はどんな感じでしたか?
後藤「今のサポーターの文化とは違うから。声をそろえるとか、歌うとかじゃなくて、みんな集中して、自然と歓声が上がる感じだったよね。ゲーム自体の力だよ、あれは。
相手側の応援には、在日の人もたくさんいるでしょ。そこが良いんだよね日韓戦は。今は当然のように相手国のサポーターが来たりするけど、当時は海外の試合を見に行くなんてアジアでは考えられない時代だった。でも、その中で日韓戦は当時も在日の人がいたから、アウェイ側の応援があった。そう考えると盛り上がりはすごかったよね。
もし、あの試合を見ていなかったら、サッカーこんなに好きにならなかったかもしれない。趣味ぐらいで終わっていたかも」
大住「あとに出てくると思うから、先に言っちゃうけど。85年10月の韓国とのワールドカップ予選の試合も実際には見られていないんだよね。あの頃はトヨタカップの取材の仕事をやっていて、ちょうど飛行機に乗っていてブエノスアイレスについたときに、東京に電話したら負けたよって知らせが来てガッカリしたのは覚えてる」
―めぐりあわせが悪いですね。
大住「それが人生」
後藤「サッカーの用事で見てないんだから仕方ないか。これがデートで見てないって言っていたら怒るけどね」
大住「それを言うなら、67年も罰走で走らされていたわけだからね。
あの頃は、釜本邦茂がまだ化けていなくて、杉山隆一が圧倒的なエースだったんだよね。釜本は、まだ良くないなって感じだったんだけど。韓国に追いつかれた後の、突き放した点は、釜本の素晴らしいゴールだった。あの時は、釜本を可愛いって思ったな。テレビ越しにナデナデしちゃった」
後藤「釜本が化ける直前だね」
大住「翌年の前半で化けるんだよね」
後藤「68年にドイツのザールブリュッケンに留学して、それで化けていくんだよね。67年の試合は、杉山は肩を脱臼して、痛み止めを飲んで出てたんだよ」