こうして、照明が点いて試合が再開するまで10分以上、現地のラジオ放送に出演していたというわけです。
もっとも、これが初めての“ラジオ出演”というわけではありませんでした。
1999年の南米旅行の目的はパラグアイで開催された南米選手権「コパ・アメリカ」でした。招待されて日本代表も参加しました。その日本の初戦、ペルー戦の前にもラジオに出演し(させられ)たんです。
パラグアイ協会が所有している、同国代表のホーム「エスタディオ・デフェンソーレス・デル・チャコ」での出来事です。
スタジアム名は「チャコの防衛者」です。
1930年代前半に「チャコ戦争」という戦争がありました。チャコ地域の石油資源を巡ってパラグアイとボリビアの間で繰り広げられた戦いで、それほど人口も多くない両国で数万人ずつの犠牲者が出たといいますから、かなり悲惨な戦争だったようです(パラグアイが勝って、チャコはパラグアイのものになりました)。そして、スタジアム名もこの戦争にちなんだ名称に変更されたというわけです。