■記念すべきPK[第1号」とは

 マクラムのPK案は1891年のIFAB年次総会で再提案され、採用が決まった。当時のピッチにはペナルティーエリアはなかった。ゴールから11メートルの距離に、ゴールラインと並行なラインがタッチラインからタッチラインまで引かれ、ボールはその線上のどこからけってもよかった。しかもGKはゴールラインから5.5メートルまで前進して構えることができた。そしてPKになる反則も、意図的に「相手の足をひっかける」「相手をつかむ」「ボールを手で扱う」の3種類に限られていた。

 PK誕生(IFAB総会)は1891年6月2日。「第1号」は、その年の8月29日、アメリカ人とカナダ人で構成されたチームが新大陸からアイルランドのベルファストに遠征してリンフィールドと対戦した試合で生まれた。相手のハンドでPKを得た「混成チーム」のアイルランド生まれのアメリカ人ジェフェリー・ドルトンが決めた。

 1902年に現在と同じ大きさのペナルティーエリアができ、1905年にはGKはゴールライン上にいなければならなくなり、1923年にペナルティーアークが引かれて、誕生から30年余り、PKはようやく今日に近い形となった。

 PKのルールならよく知っていると思っている読者は、いちど最新版のルールを参照してみたらいい。ルールは、日本サッカー協会のホームページからダウンロードすることができる。かつては簡単な記述しかなかったPKだが、現在のルールブックでは4ページにもわたって詳細な規定が書かれ、最後には「要約表」と題して状況に応じての審判の対処法が書かれている。

 PKに際し、攻撃側に反則(ペナルティーエリアへの他選手の侵入やキッカー自身の反則)があった場合、守備側に反則(守備側選手の侵入やGKの反則)があった場合、その両者の反則があった場合、そしてそれぞれにけったボールがゴールにはいったときとはいらないとき、さらには、ゴールの枠内に飛んだボールをGKが防いだときと枠を外れたときなど、8種類の状況と、それに応じた対処法がまとめられているのだ。この表があること自体が、現在のPKがどれだけ複雑怪奇なルールになっているかがわかるはずだ。

日本代表の「最新」の得点は2020年11月、パナマ戦で得たPKを南野拓実が力強く決めた。(写真提供JFA)

 英語では「penaity kick」だが、イタリア語で「punzione」といえばFKにあたる。イタリア語からの通訳や翻訳者がこの言葉を「ペナルティー」と訳してしまうのに、編集者時代の私は気を使わなければならなかった。イタリア語でPKは「rigore」という。「厳罰」のような意味だろうか。私がいちばん好きなのは、ドイツ語のPK「Elfmeter」である。直訳すると「11メートル」。ペナルティースポットがゴールから11メートルの距離にあることも、自然に知識としてはいってくる。「罰」だの「厳罰」だのいかめしい言葉より、ずっと気楽で、ポジティブで、スポーツ的ではないか。日本語でも「11メートル」と使ったらどうか。ただ、それによってキッカーのプレッシャーが軽減されるわけではないことは、ローター・マテウスの例が物語っているが……。

PHOTO GALLERY 全ての写真を見る
  1. 1
  2. 2
  3. 3
  4. 4