大住良之の「この世界のコーナーエリアから」 連載第45回「ドイツ人はPKを“11メートル(Elfmeter)”と呼ぶ」(後編)の画像
VARの登場でPKは確実に増える (写真提供AFC)
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「成功率80%の恐怖」――。映画のタイトルのようじゃないか。PKをめぐっては、数々のドラマが生まれてきた。成功と失敗は、天国と地獄。イビチャ・オシム監督はけっしてPKを見なかった。PK戦になるとベンチから姿を消して、ロッカールームでただ一人結果を待ったそうだ。

■ニースケンスから、香川真司へ伝わるPK遺伝子

 だが何と言っても、究極の「PKテクニック」は「パネンカ」である。この名は、旧チェコスロバキアのアントニン・パネンカからきている。旧ユーゴスラビアのベオグラードで行われた1976年欧州選手権の決勝戦は、2-2からPK戦決着となった。チェコスロバキアの相手は西ドイツ。2年前のワールドカップ優勝国である。

 先行のチェコスロバキアが次々と成功させるなか、後攻の西ドイツは4人目のウリ・ヘーネスが失敗、チェコスロバキアの5人目、パネンカが出てくる。ボールをセットし、助走の距離をとる。西ドイツGKは百戦連覇のゼップ・マイヤー。真っ正面から長い助走を走ってきたパネンカは、最後のところでわずかに体を右に開く。マイヤーが思い切って右に跳ぶ。しかしパネンカは右足のスイングを急激にゆるめてボールの下に打ち込むと、ボールをふわりと浮かせ、ゴールの中央に送り込んだ。

 パネンカにヒントを与えたのは、西ドイツが優勝した1974年ワールドカップの決勝戦でオランダのヨハン・ニースケンスが決めたPKだったかもしれない。西ドイツにボールをほとんど触らせないまま、開始1分で奪ったPKのキッカーを任されたニースケンスは、力いっぱいゴール中央にけり込んだのである。もちろんこのときの相手GKもゼップ・マイヤーだった。

 2018年ワールドカップ・ロシア大会の大会初戦で日本代表の香川真司が決めたPKも、分類すれば「ニースケンス」だった。コロンビアGKダビド・オスピナが思い切り左に跳んだ逆をつき、ほとんどオスピナの左足があったところに強いインサイドキックで決めた。現場では「完璧に逆をついた」ように見えたが、リプレーで見ると、オスピナの足が少し残っていたら……と、冷や汗が出る思いがした。日本代表にとって、ワールドカップ18試合目での初のPKだった。

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