■PKは勝利至上主義への罰則として考案された

 サッカーが始まったころには、PKはなかった。それどころか、1863年に書かれた最初のルールには「FK」さえなかった。FKの制定は10年後の1873年(ただし当時はすべて「間接FK」で、相手ゴールに直接入れてもいい「直接FK」が定められたのはさらに30年を経た1903年のことだった)、そしてPKの誕生は1891年ということになる。いまから130年前のことである。

 この年の2月FAカップの準決勝で、ポジションを外れていたGKのいないゴールにストークシティがシュートを放ったところ、カバーにはいってきたノッツ・カウンティのジャック・ヘンドリーがゴールライン上でボールをパンチしてはじき出した。ゴールライン上でストークにFKが与えられたが、当時のルールにより間接FKで、ノッツ・カウンティの選手たちがゴールライン沿いにぎっしり壁をつくったので、得点はできなかった。そして試合は1-0でノッツ・カウンティの勝利に終わった。

 勝利のためなら手段を選ばない反則は、当時から「プロフェッショナル・ファウル」としてさげすまれていた。大衆が注目する試合で起こった「不祥事」に、イングランド・サッカー協会の役員たちは頭をかかえた。そのとき、ひとりの役員が「ある提案」を思い出した。前年、1890年の夏に国際サッカー評議会(IFAB)に出されたアイルランド・サッカー協会からの提案だった。

 考案者はウィリアム・マクラムというアイルランドの小さな町のクラブのゴールキーパー。「勝利至上主義」の風潮に強い危機感を覚えた彼は、勝負を左右するような重大な反則を犯した場合には、その選手個人だけでなくチーム自体を強く罰する規定が必要と考えた。そして友人であったアイルランド協会の専務理事にPKに関する提案書を出す。アイルランド協会はこれを1890年のIFAB年次総会に提出したが、会議前にメディアから大反発をくらい、否決を避けるために総会直前に取り下げたという経緯があった。

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