日本代表イエローカード第1号

 試行錯誤で審判服の胸ポケットにはいるカードを開発し、国際的な大会で最初に使ったのは、1968年のメキシコ・オリンピックだった。この大会で銅メダルを獲得した日本代表は、大会の6試合を通じてイエローカードを1枚しか受けず、最初のFIFAフェアプレー賞を受賞した。日本のイエローカードは3位決定のメキシコ戦後半43分。ボールを取った相手のGKに対し、すぐにけらせないようにと釜本邦茂が足を上げてしまい、出されたものだった。というわけで、日本代表の「イエローカード第1号」は釜本邦茂である。

 ワールドカップでは、1970年メキシコ大会が「カード使用」の最初だった。この大会は、2人までの選手交代を理由を問わずに認めたこと、そして全世界に向けカラーのテレビ放送が始まったことなど、現代のワールドカップに通じる要素をもった画期的な大会だった。もちろん、ブラジルの「ジョゴ・ボニート(ビューティフルゲーム)」が世界のサッカーファンの心をとらえるのだが、イエローカードも、その印象的な大会を通じて世界に広まった。

 ところが、残念なことに、「ワールドカップのイエローカード第1号」がよくわからない。FIFAの記録によれば、メキシコ対ソ連の開幕戦(5月30日)では、両チーム合わせて5人の選手が西ドイツのクルト・チェンシャー主審にイエローカードを出されたのだが、その最初は前半30分、ソ連のMFカキ・アサティアニということになっている。しかしロシアでは、DFエフゲニ・ロフチェフが「ワールドカップのイエローカード第1号」として認識されているという。ちなみに、FIFAの記録ではロフチェフへのイエローカードは前半34分ということになっている。

 この大会では、「イエローカード2枚」によるレッドカードも、「一発レッド」も出なかった。信じられますか? レッドカードがゼロのワールドカップなんて……。ちなみに、近年のワールドカップでは、2014年ブラジル大会では10人、2018年ロシア大会では4人が退場処分を受けている。1大会で最も多くのレッドカードが出されたのは、2006年のドイツ大会で、28人だった。

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