■もっともスキャンダラスだった試合
イエローカードとレッドカードの「誕生物語」はよく知られている。
1966年にイングランドで行われたワールドカップ。準々決勝で地元イングランドとアルゼンチンが対戦した。ともに無敗でグループリーグを突破した好調チーム同士。好試合になると期待されたが、その期待は見事に裏切られた。史上最もスキャンダラスな試合になってしまったのだ。前半35分、些細なファウルを取られたアルゼンチンの主将アントニオ・ラティンが執拗に抗議。西ドイツのロドルフ・クライトライン主審は警告を出し、さらに抗議を続けるラティンに退場を宣言した。
だがクライトライン主審はスペイン語を話せず、ラティンもドイツ語などわからない。ラティンは出ていこうとせず、その間にアルゼンチンの選手たちがクライトライン主審を取り囲む。警官まで呼ばれたが混乱は収まる様子もなく、時間だけが過ぎていく。ようやく通訳が呼ばれ、ラティンは自分が退場処分となったことを理解するのに、10分近くの時間を要した。
当時は欧州と南米で交流が盛んに行われていたわけではなく、ルールの解釈や習慣などもずいぶん違っていた。アルゼンチンの選手たちはイングランドの選手たちが仕掛けてくるタックルや身体接触を伴うプレーがすべてファウルだと思っていたのだが、それをとってもらえず、いら立っていた。そして南米での「守備の常識」である、抜かれたらつかむ、シャツを引っぱるなどの行為で対抗しようとした。こちらはことごとくファウルにとられた。
南米では、キャプテンには、チームを代表して主審と話す責務があるということになっていた。だからラティンは、こうしたプレーがあるたびにクライトライン主審に近づき、きつい口調で「なぜ反則を取らないんだ」「なぜあれがファウルなのか」と詰問した。クライトライン主審は、それを「侮辱」と受け取ったのだ。試合後、クライトライン主審は、「スペイン語はわからないけど、何を言おうとしているのかはわかった」と語った。