■韓国にとってサッカーは特別な競技だった
かつて、北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)を訪れた時にも学校体育の現場を見学したことがあるが、話を聞くと上記の韓国の制度とも似ているようなので「この国のスポーツもやはり学校体育中心なんですね」と質問したら、「すべて日本人が持ち込んだことですよ」と言われてしまった。
日本と韓国のスポーツの形が似ているのは、当然のことなのだ。
日本は日清戦争後に朝鮮半島を勢力圏に置き、1910年には当時の大韓帝国との条約に基づいて朝鮮半島を併合してしまった(この条約が国際法的に正当なものだったのか否かはまだ結論が出ていない)。そして、朝鮮半島における近代スポーツは日本人が植民地支配の一環として持ち込んだという側面が強いのだ。
最近、『近代日本・朝鮮とスポーツ 支配と抵抗、そして協力へ』(金誠著、塙書房)という本を読んだ(著者の金誠はスポーツ史と近代朝鮮史専攻の札幌大学教授)。通史ではなくエッセイに近い内容の本だが、そこで僕が初めて知ったのは1925年に京城(いまのソウル)に朝鮮神宮が創設され、同年に京城運動場(後の東大門運動場)も開設され、朝鮮神宮競技大会が始まった。それが、朝鮮における近代スポーツの発展につながったということだ。
日本で1924年に始まった明治神宮競技大会(内務省が主催した総合競技大会=現在の国民体育大会の前身)を模したものであることは明らかだ。
朝鮮神宮競技大会には現地在住の日本人も朝鮮人も出場できたが、たとえば野球やラグビーなどはほとんど全員が日本人選手だったようだが、サッカー(ア式蹴球)では100%が朝鮮人選手だったそうだ。蹴球(チュック)は朝鮮半島が日本の支配下に置かれるより以前から朝鮮の人たちの心をつかんで広く普及しており、「日本人に勝てるスポーツ」として人気を博していた。