■トルシエとヒディンクが見た日韓サッカー
そうした、中国のクラブのサッカーを見慣れた目で韓国との試合を見ると妙に安心感を覚えてしまうのは僕だけだろうか。
韓国の選手は日本の選手より筋力が強くて当たりも激しいが、中国のようなラフなプレーはしてこないし、全員がチームのために献身的にプレーし、コレクティブに戦ってくる。つまり、われわれ日本人にとってもきわめて理解しやすいサッカーだ。
もし、欧米の第三者が見たら、日本と韓国のサッカーからはよく似た印象を受けることだろう。
20年ほど前に、日本代表の監督をしていたフィリップ・トルシエと韓国代表監督だったフース・ヒディンクの対談の司会という仕事をしたことがある。場所は韓国の釜山(プサン)だったが、どちらも癖のある人物なのでかなり気を使ったような記憶がある。
その対談で2人の指導者は「日本人選手は監督の言うことを聞きすぎる」とか、「韓国では先輩の言うことが絶対視される」といった話題で盛り上がっていた。
ヨーロッパ人から見たら、目上の言うことに絶対服従の“儒教的社会関係”に驚かされたのであろう。とくに、20年前の日本のサッカー界では代表選手のほとんどが学校の部活動出身だったから、現在と比べてもより体育会的な考え方が支配的だった。
韓国は日本以上に儒教的な社会だし、韓国のスポーツ界も学校スポーツが中心で先輩と後輩の間には越え難い、厳格な一線がある。
韓国のスポーツ界では、一流選手になるためには指定校の運動部で活躍するしかなかった。一般入試で指定校に入っても運動部には入れてもらえない。そして、たとえば中学時代に全国大会で四強に入らなければ高校の指定校での部活動には入れず、同様に高校時代に四強に入らなければ大学でスポーツを続けられないという「四強制度(サガンチェド)」があったのだ(最近は、だいぶ緩和されたらしいが)。