■なぜエメルソンは許されたのか

 1990年のルール改正ですね当てが義務化されたとき、それには「ストッキングによって完全に覆われている」という条件がついた。「ヤマハ型」はOKである。しかし「ブライトナー・ケンペス型」も「試合終盤でつりそうだよ型」も、不可になった。ところがJリーグ時代も10年を経て、「ブライトナー・ケンペス型」にしか見えない選手が現れた。コンサドーレ札幌、川崎フロンターレ、そして何より浦和レッズで猛威を振るったブラジル人FWのエメルソンである。

 電撃的なスピードで相手DFラインを破り、正確無比なシュートでゴールを量産したエメルソン。J1、J2、そして「ナビスコ杯」に計179試合に出場し、奪った得点は145点。「得点率」は、なんと81%である。当然、相手DFの厳しいチェックにあい、足をけられて(あるいはけられたふりをして)は転げ回って痛がるシーンも、得点数に劣らず多かった。そのくせ、すねは無防備、「丸出し」に近かった。

 なぜ2000年代初頭のJリーグで「ブライトナー・ケンペス型」が許されていたのか。エメルソンは、まるで「赤ちゃん用」のような小さなすね当てをつけていたのだ。それをストッキングの下部に押し込み、すね丸出しでプレーしていたのである。そんなすね当てが役立つわけがないのだが、ルールにはすね当ての大きさは規定されていないから、レフェリーはそのままプレーさせるしかなかったのだ。

 そのころ、私は日本サッカー協会で「施設委員会」の委員を務めていた。主にスタジアムやグラウンドのことを考える委員会だったが、「用具も担当の範囲」だというので、あるとき「ストッキングをひざ下まで上げることを義務化すべきだ」と提案した。少年少女がエメルソンの真似をしたらケガが増えると思っての真剣な提案だったが、軽く無視された。

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