まったくの無印だったチームが、J2リーグを牽引している。J1昇格候補と目されていたチームを抑えて、堂々の首位に立っている。
驚異のV字回復である。2018年にはJ3リーグで最下位に終わっていたのだ。それはつまり、Jリーグ全体の最下位でもある。
ところが、小林伸二監督が就任した19年、ギラヴァンツはJ3の頂点に立つ。前年の最下位チームが翌年に優勝するのはJ1、J2、J3を通して史上初の快挙だった。4年ぶりにJ2の舞台に立つ今シーズンは、2月の開幕戦でアビスパ福岡に敗れ、6月27日の再開初戦もV・ファーレン長崎に競り負けた。しかし、7節から9連勝と10戦負けなしの快走を演じ、19節終了現在で首位に立っている。
誰も予想できなかった快進撃の仕掛け人は、代表取締役社長の玉井行人氏である。18年1月1日に着任した彼は、ギラヴァンツの抜本的な改革に乗り出したのだった──。
──社長に就任した経緯から、お聞かせいただけますか。
「ギラヴァンツは2014年に5位になりましたが、当時はJ1昇格に必要なクラブライセンスを持っていませんでした。その時にライセンスを備えたスタジアムを作ろうと北九州市が決断したのですが、不幸なことに16年にJ3に陥落してしまいました。その後は再生への道筋をなかなか描けず、地元では改革をしなければいけないという認識が広がっていきます。新たな覚悟からクラブを見直して改革する必要があるということで、要請をいただきました」
──その当時は西日本新聞社にお勤めでしたよね?
「地元のブロック紙である西日本新聞の北九州本社の代表を務めていたことがありまして、私は生まれも北九州市ですから、地元の事情を理解しているし人的なネットワークもあります。17年11月に地元の方々が西日本新聞の本社へ来て、就任の要請を受けました。故郷のために恩返しがしたいと思っていましたので、2週間後に会社に辞表を提出して退職し、サッカー界に飛び込みました」
──それ以前はサッカーとの接点がほとんどなかったそうですね。
「まったくの丸裸です。新聞記者では社会部が基本で、事件事故の担当で福岡県警のキャップや警察担当デスク、東京支社では政治担当で首相官邸キャップなどもやっていました。当時はサッカーのルールさえ知りませんでした」