■眠れなくなり、喋り方がおかしくなった

──改革の手法としては正しいと思います。問題は時間だったでしょうか。次のGMなり強化本部長を決めないと、翌シーズンの編成ができませんよね。

「いろいろな方から“早く決めないとどんどん状況は悪くなる、一日でも早く決めて下さい”と言われました。けれど、クラブの命運を左右するパートナーを選ぶのですから、絶対に妥協できません。ものすごい数の方にお会いしましたが、自分が納得できるまでは首をタテに振らないと決めていました。翌シーズンへの契約更改は、クラブの中枢と話し合いながら編成をして、私が選手一人ひとりに通知しました」

──サッカーに詳しくない立場で編成に関わるのは、相当な勇気と決意が必要だったのでは?

「それは自分の覚悟ですね。このクラブを変えるために来ているのだから、人任せにはできない。データを強化部からいただいて進めました」

──GMまたは強化本部長の候補として「ものすごい数の方」に会いながら、なかなか意中の人材に辿り着けなかった理由はなんでしょう?

「地域に愛されるクラブに成長したいということで、候補者の方々には北九州の地域特性をご説明しました。それに共感してもらえることが大前提で、中長期的な視点でクラブの改革を一緒にやってくれる人で求めていったのですが、北九州についてあまりご存じでない方もいました。18年のJ3リーグの最終戦が12月2日だったのですが、その時点でもまだ決まっていませんでした」

──それは、かなり切羽詰まってきましたね。

「はい。その時はもう苦しくて、心が折れそうになって。ごはんが食べられないし、何日もほとんど眠れない。だんだん言葉が出なくなって、喋り方がおかしくなったんです。実は今もそのときの後遺症が残っているんですよ。また、私は出勤にバスを使うのですが、自宅からバス停へ一歩進むたびに、胃がキリキリ傷む。5、6キロは痩せました。社員の人たちは倒れるんやないかと思っていたようです。家族の支えでどうにか……」

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