■偉大なるキャプテンの勇気ある行動
では、ユニホーム広告は、いったいいつごろ始まったのだろうか。いろいろ調べてみると、世界で初めてユニホームに広告をつけようというアイデアを実行したクラブは、ウルグアイの名門ペニャロールだったらしい。1955年のことである。ところがこの試みは失敗に終わった。ひとりの選手が断固拒否したのだ。
その選手の影響力があまりに大きかった。オブドゥリオ・バレーラ。1950年ワールドカップ優勝のウルグアイ代表キャプテンである。その人物の大きさや統率力から、1世紀半を超すサッカー史でも世界で屈指の「名キャプテン」とされるバレーラは、クラブの計画をこう言って非難した。
「白人たちは、おれたち黒人の鼻に輪っかをつけて引っ張り回してきた。またそんなことをするのか。時代は変わったんだ」
偉大なキャプテンの猛反対にもかかわらず、ペニャロールはスポンサー名をつけた新しいユニホームで試合に臨んだが、バレーラだけは、彼のシンボルである背番号5だけをつけたスポンサー名のない古いユニホームを着用し、現役として最後のシーズンを戦った。翌シーズンからこのバレーラが監督に就任したこともあって、ペニャロールは後にプロサッカーの「常識」となるユニホーム広告の「早すぎる先覚者」の座を、しばらくの間忘れられることになる。
欧州で最初にユニホーム広告をつけたのはオーストリア・ウィーンというクラブだった。1966年、伝統の紫色のシャツの胸の中央に地元ビール会社の広告を入れたのだ。しかしリーグ側がストップをかけた。新しい規則をつくったのだ。そこには、ユニホーム広告を禁止するということだけでなく、選手の長髪まで禁止すると書かれていた(!)。ビートルズが世界を席巻し、その影響を受けてジョージ・ベストを筆頭に長髪の選手が急激に増え始めていた時期のことだった。