■突然訪れた僥倖

 欧州へ送った200本のビデオテープに対するリアクションは微々たるものだったが、チャンスは思わぬところから訪れた。2001年にプレW杯として開催された、コンフェデレーションズカップである。

 フル代表でも主力に定着していたものの、その大会でのプレー自体が直接的に飛躍につながったわけではない。かつて名古屋グランパスエイトを率いて天皇杯も制した、日本になじみ深い人物の存在が大きく影響した。

「ゲスト解説者として(当時アーセナル監督のアーセン・)ヴェンゲルが来たんです。サッカーの仕事に携わっていたために以前から知り合いだったフジテレビのサッカー中継班の人に、『ヴェンゲルさんがちょっと話をしたいと言っている』と言われて、試合の後かハーフタイムにスタジアムで立ち話をしたんですよ。その時に『稲本にすごく興味を持っていて、アーセナルに欲しいと思っている』と言われました。あと、日本人にはアダプテーション(適応)の問題があって難しいから、2人取ろうと思っている、と。実際に海外移籍の際の契約状況がどうなっているか尋ねられて、当時は細かい条件を話し合っていなかったので、実際に海外に行く場合はどうするかを決めておいたほうがいいな、とその時に思いました」

 その話を伝えると、稲本は当然ながら喜んだという。田邊氏はその後も、ヴェンゲルと話をする場を持った。すると「イギリスに帰ったらオファーする」とのヴェンゲルの言葉どおり、田邊氏のオフィスにアーセナルからのオファーがファクスで送られてきた。

 だが、すんなりとアーセナル行きを決めたわけではなかった。実は、別の欧州クラブからオファーが届いていたからだ。

(つづく)

 

田邊伸明(たなべ・のぶあき)

1966年、東京生まれ。大学卒業後、スポーツイベント会社に就職し、1991年からサッカー選手のマネージメント業務を開始するなど、一貫してサッカーとスポーツに携わる。1994年、代表取締役として株式会社ジェブエンターテイメントを設立。1999年に日本サッカー協会のFIFA(国際サッカー連盟)選手代理人試験を受験し、2000年にFIFAより選手代理人ライセンスの発行を受け、現在も多くのアスリートのサポートを行う

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