敏腕代理人が語る日本人選手「世界での現在地」(1)「稲本潤一、世紀の移籍」のウラ・前編の画像
2001年の稲本のアーセナル移籍は、まさに衝撃的だった 写真:Colorsport Images/アフロ
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 日本からは現在、多くの選手が世界へと飛び出している。時代の流れとともに、その状況は刻々と変化していっている。現在の日本人選手は、世界でどんな立ち位置にあるのか? 稲本潤一と浅野拓磨をともにアーセナルへなど、数多くの選手をビッグクラブを含む欧州へと送り出してきた代理人の株式会社ジェブエンターテイメントの田邊伸明氏に、話を聞いた。

■かつての欧州への伝手は「ビデオテープ200本」

 奥寺康彦氏(現横浜FC会長)のような特例はあったが、日本人選手の海外移籍が本格化したのはJリーグが始まってからだ。1998年のワールドカップ(W杯)フランス大会で世界に自身を知らしめ、ペルージャからローマへと駆け上がった中田英寿氏の例もあったが、2001年にJリーグからいきなりアーセナルという名門クラブへと招かれた稲本潤一(当時、ガンバ大阪。現SC相模原)の移籍は、まさに衝撃的だった。

「古い話ですね」。そう言って笑う田邊氏こそが、イングランドへと挑戦する稲本を支える代理人だった。

 2人が初めて顔を合わせたのは、2000年2月の東京でのこと。前年にFIFAの公式代理人資格を取得したばかりの田邊氏に、稲本は最初から海外移籍の意思があることを告げ、そのために契約を交わしたいと申し出たのだという。

 田邊氏は代理人となる前からサッカー界に身を置き、欧州と南米の大陸王者が対戦するインターコンチネンタルカップの運営に携わるなどしてきたため、海外のクラブ関係者ともコネクションはあった。ただし、選手を売り込むとなると話は別だ。まずは、とにかく稲本という選手を認知してもらうことを考えた。

「当時は私も実績ゼロでしたが、稲本が海外へ行きたいというリクエストをしてくれたので、どうしたら実現できるかを手探りしていました。公式エージェントのリストがFIFA(国際サッカー連盟)のホームページに出ていたので、全部で400人くらいいる中から、稲本が行きたいと思っている国から200人くらいをチョイスして、その人たちに(プレゼンテーションの)ビデオを作って送りました。まだビデオテープの時代で、今考えるとびっくりするような送料もかかりましたが、受け取ってもらえたかどうかもわかりませんでした」

 契約した年の夏には、シドニー五輪があった。U-23日本代表の主力であった稲本に田邊氏は、得点力など欧州でセンターハーフに求められる能力を高めるようアドバイスを送っていた。フル代表にもコンスタントに選出され、2002年の日韓W杯出場が、より鮮明に像を結んできた頃のことだ。

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