大住良之の「この世界のコーナーエリアから」 連載第13回「日本サッカーの青の時代」の画像
2020年のJリーグキックオフカンファレンスには、カラフルなユニホームが並んだ
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Jリーグ56クラブのユニホームで、もっとも多いのは何いろで、何クラブが着ているかご存じか? 大住さんから今回は、ユニホームのいろいろないろにひと言。日本サッカーリーグ時代から続くクラブ伝統のチームカラーには、驚きの所以が多いもの――。

日本代表は90年間「青」

 4カ月ぶりに再開されたJリーグ。6月27日にJ2の「千葉×大宮」を見に行った。感染防止を主眼にした「リモートマッチ」の試合運営は見事だったし、選手たちも奮闘した。両チームの選手交代にも工夫が見られ、とても興味深かった。

 しかし「ああ、まだこれか」と落胆することもあった。両チームの背番号が恐ろしく見にくかったことだ。

 視力はずっと1.2だったから、スタンドに座っていて選手の背番号を読み取るのはわけがなかったが、20年ほど前、手元のノートに書き込んで顔を上げると、とっさに選手たちを見分けるのが難しくなった。焦点距離の調整が遅くなったのだ。調べてみたら右目の乱視も見つかったから、遠近両用のメガネを買い、それで日常を過ごすようになった。おかげで、とっさに顔を上げても選手たちの背番号を読むことができるようになった。

 だが、6月27日の「千葉×大宮」は、両チームともひどかった。ホームの千葉は蛍光イエローのようなユニホームにライトグリーンの背番号。大宮は白いシャツにオレンジ色の背番号。近くで見ればおしゃれかもしれないが、スタンドからはとても見にくいのだ。

 この日はもちろん「無観客」だったが、背番号とは、本来、ときには選手から数十メートル以上も離れたスタンドの観客に個々の選手を認識させることを目的としたものである。当然、はっきりとした色と形でなければならない。背番号が見にくいユニホームを着るというのは、プロとしてのサービスの基本を忘れたものと言わねばならない。

 おっと、今回は背番号の色の話ではなかった。ユニホームの色そのものの話である。

 日本代表と言えば「サムライ・ブルー」。現行の「カムフラージュ柄」がいかに最悪であるか、ここでは詳述はしないが、歴代のユニホームを見ると、紺色から水色まで「振り幅」の大きさは気になるものの、「青」であることは一貫している。一時(1989~1991年)、「日の丸」に合わせた赤と白のユニホームを着用したことはあったが、1930年の極東選手権で初めて選抜チームとしての日本代表を組織して以来、90年間、原則として青を通してきた。

 このときになぜ青にしたのか、その意図は伝わっていない。しかし翌1931年に制定された日本サッカー協会の旗章(3本足のカラスが描かれたもの)にも青が使われており、「はつらつとした青春の意気に包まれた日本サッカー協会の公正の気宇」を表現しているとされている。青には「青春」や「青空」のイメージがあり、「フェアプレーの精神」も表しているという。伝統的に日本人が最も好む色であったようだ。

 みんなが好きな色だから、サッカーのユニホームも自然に青が多い。

 現在のJリーグ56クラブのユニホームを見ても、やはり青が最も多く、他の色とのコンビネーション(FC東京の「青・赤」やガンバ大阪の「青・黒」など)を含めると実に約4割に当たる22クラブが使い、他の色を大きく引き離している。だが日本サッカーリーグ(JSL)時代(1965~1992年)には、こんなものではなかった。もっと大きな割合のチームが青いユニホームでプレーしていたのである。

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