サッカー講釈師の「日本ラグビー強化策」――次回W杯の成功は期待しない――(前編)の画像
ワールドカップベスト8進出を果たしたラグビー日本代表 写真:AFP/アフロ

またまた登場のサッカー講釈師。ラグビー日本代表を彼は「ジャパン」と呼ぶ。なぜ「日本代表」、「ニッポン」ではないのか。まるでラグビー・ファンのようだ。ところが、ラグビー強化策を語りだすと、それは日本サッカー史における経験と叡智を踏まえたものとなり、サッカー狂丸出しだ。

 ■信じがたい集中強化

 昨年のジャパンの颯爽とした戦いを思い起こすと、次回フランス大会でも「同様に2次ラウンド進出、いやぜひベスト4」と考えたくなる。けれども、地元ワールドカップに向けて行ったジャパンの強化方策を振り返ると、次回大会での成功を期待してはいけないのではないかと思えてくる。それは、今大会の成功が、少人数の代表候補選手に対する徹底した集中強化によるものだったからだ。次回以降この再現は不可能だろう。むしろ、日本ラグビーの発展のためにはまったく異なる視点からの活動を目指すべきではないだろうか。本稿では、サッカー狂の視点から、日本ラグビー界がとるべき次の一歩を考えてみたい。

 2015年イングランド大会終了後、19年大会までの日本ラグビー界のトップレベルのスケジュールを整理すると、その徹底した集中強化方策に驚かされる。というか、サッカー狂からすれば信じられない。

 15年10月ワールドカップ終了後、11月中旬から1月末まで15-16年のトップリーグ(日数不足から16チームを2ブロックに分ける変則方式で実施)。16-17年と17-18年は8月から1月までトップリーグ。そして、いずれのシーズンも2月から8月までサンウルブズがスーパーラグビー参戦。サンウルブズはジャパンの主力を軸にした準代表チームである。さらに毎年、6月(サンウルブズ活動は中断)と11月(トップリーグは中断)にはジャパンとして、国内または海外遠征でテストマッチを行う。

 そして、18-19年シーズンは、8月から12月まで変則方式でトップリーグを行う(この年の11月もジャパンの遠征)。その後ジャパンは、19年の2月から合宿に入り、途中ニュージーランド遠征、豪州遠征、パシフィックネーションズカップをはさみながら、9月のワールドカップを迎えた。

 丸4年間、1カ月を超えるオフはまったくない。また1カ月休んだとしても、すぐに大会が始まる。サッカー狂から見ると、ちょっと信じられない長期の拘束である。昨今はサッカー日本代表の中心選手のほとんどは海外でプレーしているから、比較は難しいので、10年ほど昔を思い起こしてみよう。Jリーグが半年未満の期間しか行われず、中澤佑二や遠藤保仁や中村憲剛や大久保嘉人が、自分のクラブ以上の時間代表チームに拘束され、ほとんどオフすら与えられない4年間を過ごしたようなことだ。

 もちろん地元で開催されるワールドカップ、この特別な祝祭に向け、相当強引な日程での強化を目指すのは1つの考えだ。そして、それをジャパンはやり切り、全国民にすばらしい夢を見せてくれた。長期間にわたり、選手たちに対して厳しい要求を継続したジェイミー・ジョセフ氏。その要求に応えた選手たち。彼らをサポートしたスタッフたち。さらには己の都合を我慢して選手を供出した所属チームの胆力。ワールドカップでの勝利という究極の目標実現という視点からは、絶賛しかない。

 一方で、この集中強化というやり方には明らかな限界がある。

 多くの方が指摘している通り、今大会のジャパンの大きな課題は選手層の薄さだった。大会の登録メンバー31人のうち、5人の選手は出場機会を得られなかった。優勝した南アフリカが、やや力の落ちる対戦相手ではリザーブの選手を積極的に起用することで、1次ラウンドの時点で登録全選手を起用していたのと対称的だ。コンディショニングの面で劣勢となったジャパンは、後半、次々にフレッシュなFWを起用してくる南アフリカに粉砕されてしまった。

 特定の選手を集中強化するということは、そうでない選手を強化から外すこととなる。しかも4シーズンにわたり、そうでない選手を強化する最高の機会のトップリーグを、半年未満の期間に押し込んでいたのだから。ジャパンの候補になった選手をたっぷり鍛えることはできただろうが、候補になる選手を増やすことまでは手を付けられなかったのだ。そう考えると、昨年のジャパンの選手層の薄さは、集中強化方式の限界を示すものだったともいえる。

 サッカー日本代表も類似の集中強化を行ったことがある。1960年のローマ五輪に出場できなかった反省から、64年に行われた地元東京五輪を目指し、西ドイツ(当時)よりデッドマール・クラマー氏をコーチとして招聘。まだ30代前半だった長沼健監督、岡野俊一郎コーチをクラマー氏がサポートする体制で、ベスト8進出に成功。そのまま特定メンバーを徹底して強化する体制を継続、東京五輪の選手18人中14人を、68年メキシコ五輪のメンバーとして選考し、銅メダルを獲得した。

メキシコ五輪快挙の原動力となった釜本邦茂 写真:水谷章人/アフロ

 しかし、このような集中的な特定の選手強化は、継続しない。メキシコ五輪以降、日本代表が十数年間低迷を続け、アジアでもなかなか勝てなくなったのは、皆様ご存知の通り。メキシコ五輪代表選手が次第に高齢化すると、代わりに登場した選手が期待通りには成長してくれなかったのだ。日本代表が、アジアのタイトルマッチで、それなりの好成績を残せるようになるには、80年代半ば。十数年の月日が必要となった。

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