■代表チームの勝利に大騒ぎ
1978年のワールドカップを楽しみにしていた太田さんでしたが、前年に亡くなってしまいました。工場は次男のアントニオさんが後を継いでおり、アルゼンチンに来たら家に泊まってくれと言ってくれたので、僕は太田さんの家の作業場横の半地下の部屋を借りて暮らしていたのです。
目の前はアベニーダ・カルチャキという大通りで、アルゼンチンが勝利すると大量の車がクラクションを鳴らしながら首都の方向に走っていきました。ブエノスアイレス市内のオベリスク前に集まって騒ぐためです。
そして、『はるかな国……』に出てくる地名を地図アプリで検索してみると、ハドソンが生まれた場所は僕が住んでいた太田さん宅から数キロのところだったことが分かります。そして、「ギジェルモ・エンリケ・ハドソン」という町まであったのです(「ギジェルモ・エンリケ」は「ウィリアム・ヘンリー」のスペイン語読み)。ブエノスアイレスとラプラタ市を結ぶコンスティトゥシオン鉄道にも「ハドソン」という駅があります。













