■英語教師の「学位」を持つ選手
その選手が話しかけてきたのは、この年の9月29日の夜、アルゼンチン中部ロサリオ市の「レプブリカ」という質素なホテルの地階につくられたダイニングルームでのことだった。
その年のトヨタカップに出場するインデペンディエンテを取材するためにアルゼンチンにやってきていた私とカイ・サワベ・カメラマンは、この日、チームのバスに同乗し、ブエノスアイレスから4時間をかけてロサリオに到着した。バスの同乗と同じホテルへの宿泊を薦めてくれたのは、インデペンディエンテを南米王者に導き、クラブ史上最高の監督と言われたホセ・オマール・パストリーサだった。
今では信じ難いことだが、この遠征に彼は6歳ほどの息子まで連れてきていた。妻は同乗してはいなかった。遠征先のロサリオはパストリーサの故郷であり、おそらく、到着したホテルにはこの息子の祖父でも迎えにきて預けられたのだろう。翌日のアウェーゲーム、ニューウェルズ・オールドボーイズ戦に備えてのバス移動だったが、のんびりとした時代だった。
マランゴニが私を呼び止めたのは、夕食後のお茶の時間だった。
「あなたは日本から来たんだよね」
こちらが恥ずかしくなるようなきれいな英語で、彼は話しかけてきた。彼は「英語教師」の学位を持っていた。
「そうです」
「じゃあ、話を聞いてほしい」
そう言われては、私たちは空いたテーブルに向かい合って座った。
「僕は日本という国にとても興味があり、引退後は日本でコーチの仕事ができないかと考えている。その前に日本で数年間プレーできればいいと思っているんだ」








