■4部リーグからの「再挑戦」
このとき、加茂さんのもとには、さまざまな企業チームからのオファーがあった。すべてが社員としての誘いだった。なかには「部長待遇で」という企業もあった。しかし、彼は敢えて「プロ」の道を選んだのである。
1974年に日産の監督に就任、5年目の1979年にJSL1部昇格を果たす。しかし「チャンピオンを目指すにはモデルチェンジが必要」と、2シーズンでJSL2部に降格したのを機に、日本代表クラスの大学生有力選手を一挙に補強した。その新しいチームの核となったのが、1980年入社の金田喜稔さんであり、1981年に入社した木村和司さんだった。
1年で1部に復帰、2シーズン目の1983年には読売クラブに次いで2位となり、一躍JSLの人気チームとなった。翌1984年にも2シーズン連続で最終節まで読売と優勝を争って2位となった。そして加茂さん自身の評価も高まり、「日本代表監督に」という話となるのである。









