■決めたのは「木村和司」と…
1972年に始まり、ホームとアウェーで繰り返してきた日韓定期戦。1984年は第12回大会、6回目のソウルでの試合だったが、日本にとって初めての「アウェー勝利」だった。その驚きと喜びは格別だったのだ。加茂さんにとって皮肉だったのは、「森ジャパン」を勝利に導き、加茂さんの日本代表監督就任を10年間も遅らせた2ゴールが、木村和司さんによる直接FKでの先制点と、1-1で迎えた後半に水沼貴史さんがきれいに流し込んだ決勝ゴール、いずれも日産の選手が決めたことだった。
加茂さんは1964年に関西学院大学を卒業してヤンマーディーゼルに入社し、1965年にJSLがスタートするとセンターフォワードとして活躍、しかし、1967年に釜本邦茂さんの入社とともに日本リーグ上位進出を目指してチームを大幅に若返りさせることになって引退、コーチに就任した。そして1969年に日本で開催されたFIFAコーチングスクール(アジア各国のコーチ対象)に参加、主任講師のデットマール・クラマーさんの薫陶を受けて「プロコーチ」を目指すようになる。
天皇杯を2回制覇し、JSLでも優勝を飾ると、1973年元日の天皇杯決勝(ヤンマー1-2日立)を最後にヤンマーを退職。その年のうちにいくつものチームから誘いを受け、その中から当時神奈川県リーグ1部(当時の「ピラミッド」でいえば、JSL、JSL2部、関東リーグに次ぐ「4部」にあたる)の日産自動車と契約した。形としては「1年契約の常勤社員」だった。








