■無言帰宅に隠された「優しさ」
大住「釜本さんの人となりを語るものとして、日本代表監督も務めた加茂周さんに聞いた話は印象に残っています。釜本さんは1982年にアキレス腱断裂の大ケガを負って、1年間くらいプレーできなかった。翌83年シーズンの後半に、ようやく交代で試合に出られるようにはなった。そういう状態でもチームを天皇杯の決勝まで導いたんだけど、その84年元日の決勝が最後の試合になったんだよね。その試合の相手が、加茂さんが率いていた日産自動車だった。加茂さんが神奈川県1部リーグにいた日産の監督を引き受けてから10年目にたどり着いた、初タイトルへの王手。決勝の朝、宿舎での最後のミーティングで、加茂さんは選手たちに“おそらく今日が釜本の最後の試合だ。日本のサッカーを引っ張ってきた選手に、ぜひ敬意を示してほしい”という話をしたんだって。試合前、すでに新聞ではこの試合を最後に釜本が引退する、と報道されていたので、もしも交代でピッチを後にするときには、プレーを止めて整列し、全員で見送ってほしい、と加茂さんは話したんだって。
結局、釜本さんは先発じゃなくて交代出場で、しかも上り調子で圧倒的だった日産の前に何もできないうちに試合が終わって、日産が4-1で初優勝を果たした。それでもやはり、報道陣は釜本さんに集まるわけだよ。これで引退かと尋ねても、釜本さんは何も語らずに帰った。当時、プレーイングマネジャーだったから、今なら会見拒否で怒られるところだよね。でも加茂さんは、釜本さんがそうしたのは、日産の初優勝のためだった、って話してくれた。もしも釜本さんが自分の引退を発表したら、翌日の新聞ではトップ記事になって、日産の初タイトルが小さい記事になってしまう。だから、黙って帰ったんだ、って。それを聞いて、本当に立派な人だと思ったね。正式に引退を発表したのは、1か月が過ぎた翌2月のことだった」