三笘薫移籍後に魅せた鬼木監督「用兵の妙」、長谷部新監督「二重の誤解」と新しい川崎のスタイル【2005年J1リーグ序盤戦で分かった「新監督5人」の手腕と「チーム」の今後】(2)の画像
三笘薫らが移籍後、鬼木監督はさまざまな戦術を駆使してチームをけん引。その後を引き継いだ長谷部新監督が目指す川崎の新スタイルとは…。撮影/中地拓也

 2025年のJ1リーグは、昨シーズンとは違う魅力を提供している。その要素のひとつが、監督の存在だ。特に新監督には、チームをガラリと変え、上昇気流に乗せることが期待されている。サッカージャーナリスト後藤健生が、新監督たちの今シーズン序盤戦を振り返る!

■川崎時代も見せていた「執着」

 実は、川崎フロンターレ時代にも、鬼木達監督はこうした結果への執着を見せていた。

 4度の優勝を飾った頃の川崎は“横綱相撲”だった。対策を考えるのは対戦相手の監督の仕事。川崎側は、自分たちのサッカーを貫けば、おのずと得点が生まれて勝利できた。しかも、中村憲剛大島僚太のような天才的MFがおり、献身的な守備をする守田英正がいて、旗手怜央がユーティリティー。そして、決定的仕事ができる三笘薫という切り札もいた。

 だが、4度目の優勝を遂げた後は、川崎にとって厳しいシーズンが続いた。日本代表級の選手たちが次々と欧州クラブに移籍してチームを離れ、選手が入れ替わった。また、サンフレッチェ広島ヴィッセル神戸のようなカウンタープレス型のチームが台頭し、川崎のパス・サッカーがなかなか通用しなくなった。

 そんなときには、鬼木監督は試合途中にシステムを変更したり、選手交代を駆使して戦っていた。家長昭博をトップに置いて2トップにしたり、MFである橘田健人をサイドバックで起用したりと、用兵の妙も見せた。そういえば、川崎時代にも知念慶は切り札的に使われてもいた……。

 鹿島でプロ選手としてのキャリアを始めた鬼木監督。まさに、鹿島らしい勝負にこだわる指導者なのである。鹿島の指揮官におさまったのだから、川崎という攻撃志向のクラブにいたときと同じようなスタイルを追求することはないのではないだろうか。

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