■アジアカップでの「驚きの依頼」
1996年にアジアカップを取材したとき、久しぶりにイビッチと会い、彼のホテルに呼ばれてティールームでお茶を飲んだ。「私は日本のクラブで仕事をしたいんだ。どこか監督を探しているところはないかな」という話に私は驚き、そして喜んだが、結局、何のアドバイスもできなかった。日本の代理人でも紹介しておけばよかったのだが、当時の私はたくさんの仕事を抱えており、忘れているうちに日がたってしまったのだ。
次々と指導するチームを変えていったイビッチだったが、彼は特定の「代理人」を持たず、すべてクラブや協会との直接的な交渉で仕事を決めていた。彼の電話番号を聞き、日本の代理人に教えるだけでよかったのだが…。彼が翌年からでもJリーグで指揮を執り、評価を受けていれば、1998年から2002年にかけての日本代表監督の候補になっていたかもしれない。そうでなくても、彼は日本での生活とJリーグのサッカーにすぐに適応し、間違いなくいい仕事を残してくれただろう。それが悔やまれる。