■トヨタカップ「非公式な視察」
トヨタカップで来日したときは、彼に頼まれて、試合の数日前に国立競技場のピッチの非公式な視察に連れていった。芝生などほとんどなく、足を踏み出せば1、2センチ泥に沈んでしまいそうなピッチを見て、彼が本当に悲しそうな顔をしたのを、私は今でもよく覚えている。
1988年にFCポルトを離れると、パリ・サンジェルマン(フランス)、アトレチコ・マドリード(スペイン)、オリンピック・マルセイユ(フランス)、ベンフィカ(ポルトガル)、フェネルバフチェ(トルコ)など欧州のトップクラブで指揮を執り、1995年にアラブ首長国連邦(UAE)の監督となった。
その後、UAEのアルワスル、イランのペルセポリス、イラン代表と西アジアで活躍、再び欧州に戻ってスタンダール・リエージュ(ベルギー)、マルセイユで監督を務めた。2001年には体調を崩して一時ピッチを離れたが、2003年から2004年にかけてサウジアラビアのアルイテハドで指揮を執り、その後完全に引退。2011年6月に77歳で亡くなった。