■昔から有名な景勝地だった「盧溝橋」

 とにかく、やって来た盧溝橋行きの339番の路線バスは、相当なオンボロでした。トレーラー・バス。トラックのような駆動部があり、運転手が座っています。そして、その駆動部が乗客が乗る車体を連結して引っ張って走るのです。ゴーゴーと音を立てて、黒煙を発しながら、バスは北京の西南に向かってひた走ります。車内には車掌が何人も乗っていました。

 盧溝橋は北京市豊台区、都心からは15キロほどのところにありました。永定河は水量は少なかったのですが、河川敷は広く、橋は266メートルほどあります。

 日中戦争の発端となる事件があったことで記憶されている盧溝橋ですが、橋それ自体も昔から有名な景勝地でした。

 最初に橋が造られたのは、中国北部が金王朝に支配されていた12世紀のことでした。金王朝は、中国東北部にいた女真族という北方民族によって樹立された王朝です。女真族というのは、後に清朝を打ち立てることになる満州族の先祖です。

 その後、モンゴル族による元王朝が中国全土を支配する時代になると、北京(上都)が首都となり、大都市に発展します。

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