■「U-21イタリア代表」で将来を嘱望されるも…

 ボニーニはサンマリノ生まれだったが、13歳のときから北イタリアのトリノ市をホームタウンとするユベントスのユースでトレーニングを受けた。そして17歳のときにセリエDの「ベラリア」でプロとしてデビュー、翌年はセリエCの「フィオリ」でプレー、順調に階段を昇って1979年にはセリエBの「チェゼーナ」に移籍、その2シーズン目にはセリエAへの昇格を決める活躍を見せると、1981年夏、21歳でユベントスに呼び戻されたのだ。奇しくも、チェゼーナはサンマリノから車で1時間弱という「故郷に近い町」だった。

 この間、1980年から1983年にかけて、「オーバーエージ」を含む「U-21イタリア代表」で9試合に出場。大いに嘱望された選手だった。当時、サンマリノはFIFAにもUEFAにも加盟しておらず、サンマリノ国籍の選手はイタリア代表としてプレーできることになっていたからだ。だがFIFAのルールが変わり、イタリア代表になるには、イタリアのパスポート所持が義務づけられた。ボニーニは繰り返しきたフル代表の招集を拒み続けた。サンマリノ国籍を失いたくないためだった。

 ボニーニの夢がかなったのは1990年のことだった。UEFAとFIFAに加盟後、サンマリノにとって初めての「代表戦」は、この年の11月14日、欧州選手権(EURO)1992(スウェーデン大会)の予選だった。会場は当時「オリンピコ」と呼ばれていたサンマリノ・スタジアム。「サンマリノ代表デビュー」のボニーニは31歳になっていた。周囲はすべてアマチュア、あるいはセミプロの若手選手である。

 試合はほろ苦いものとなった。開始わずか7分でスイスに先制点を許し、前半のうちに0-3と差を広げられた。孤軍奮闘していたボニーニだったが、負傷によりハーフタイムでの交代を余儀なくされ、終盤にも1点を追加されて0-4という手痛いスコアで敗れたのだ。

 この試合を皮切りに、サンマリノの「黒星街道」が続く。13連敗のあと、ようやく初勝点を得たのは1993年の3月、ワールドカップ1994(アメリカ大会)の予選、ホームでのトルコ戦だった。それまで4戦全敗、得点1、失点22だったが、この日は守備陣が奮闘し、0-0の引き分けに持ち込んだのだ。ただ、ボニーニはこの試合には出場していない。

 ボニーニは1995年までに19の代表戦に出場。結果は全敗だった。負けても負けても、彼は若い選手たちを励まし、次の試合へと立ち向かっていった。1996年に引退後はサンマリノ代表監督に就任。1998年にジャンパウロ・マッツァに引き継ぐまで、彼の「代表監督生活」もまた、全敗だった。

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