■イングランドでは「サッカーに交代なし」

 イングランドでは「サッカーに交代なし」の思想が徹底しており、IFABもその意向を汲んでルール上では禁止されたままだった。しかし、20世紀の前半には、サッカーは世界各地に広まって、1930年代には次々とプロ化されるなど盛んになっていた。そして欧州大陸では、ケガ人が出た場合には交代を認めるべきという考え方が優勢になっていた。

 ワールドカップでは、1954年スイス大会の予選で交代が行われている。1953年10月11日にシュツットガルトで行われた西ドイツ×ザールラント。西ドイツの左ウイング、リヒャルト・ゴッティンガーにとっては代表デビュー戦だったが前半に負傷、38分にホルスト・エッケルとの交代を余儀なくされた。

 ザールラントは、現在ではザールブリュッケンを中心とするドイツ西部の州になっているが、第二次世界大戦後、この地域を西ドイツに含めることにフランスが反対、1957年元日に西ドイツに返還されるまで、フランスの保護領になっていた。1950年にはFIFAに加盟、「ザールラント代表」は1956年6月まで19試合を戦い、6勝3分け10敗の成績を残している。

 1954年ワールドカップの予選ではノルウェー、西ドイツと同組になり、初戦、アウェーでノルウェーに3-2で勝って驚かせたが、この西ドイツ戦を0-3で落としてグループ2位にとどまり、ワールドカップ出場の唯一のチャンスを逃した。この当時の監督は、西ドイツ代表の名将ゼップ・ヘルベルガーの愛弟子で、後にヘルベルガーを継いで西ドイツ代表監督となり、1974年ワールドカップで優勝に導くことになるヘルムート・シェーンである。当時39歳だった。

  1. 1
  2. 2
  3. 3
  4. 4