後藤健生の「蹴球放浪記」第212回「YOUは何しに辺境の地へ」の巻(2)カザフスタンで広島大の研究者と遭遇、武力衝突のペルーを脱出、ボリビアで東大の天文学者と酒盛りの画像
天文学者たちと酔いしれたラパスでは、ストロンゲスト対ボカの親善試合を観戦。提供/後藤健生

 日本は「極東」と言われる。ヨーロッパから見て、の話だ。蹴球放浪家・後藤健生の羅針盤はサッカー。ふつうならば行かないような国々にも、サッカーに導かれて足を伸ばしてきた。

■治安部隊とデモ隊が衝突「おんぼろバス」で脱出

 1978年のワールドカップを観戦するため、僕はロサンゼルス経由で南米大陸に向かいました。最初に滞在したペルーでは石油値上げを巡ってゼネストが起こり、治安部隊とデモ隊の衝突にも出くわし、あまり観光などできませんでした。このままでは、いつ出国できるかも分かりません。そこで、スト破りのおんぼろバスでボリビアに脱出しました。

 ボリビアでは、知り合いの日本航空ボリビア支店長、グスタボ・タナカという日系人の家に居候しました。

 その家にはいろいろな日本人がやって来ました。第2次世界大戦前にボリビアに入植した日本人やその子どもたちである日系人たち。最近、日本からやってきたスーツを着たビジネスマン(新旧の日本人同士は仲が良いわけではありません)。そして、天文学者たち。

 平地で天体観測をすると分厚い大気層の影響を受けるので、天体観測は標高の高い山で行うほうが有利なのです。

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