■JFK空港着は出発の「45分前」
ともかく、1977年5月27日午後6時45分、私を乗せたパンナムの800便は羽田空港の滑走路を疾走し始めた。ちなみに、成田空港の開港は翌1978年のことで、当時は羽田が東京の唯一の玄関口だった。東の空はすでに真っ暗だったが、西を眺めると、東京のビル群の向こうは真っ赤な夕焼けだった。その中に東京タワーが突き出ていた。
ニューヨークのジョン・F・ケネディ(JFK)空港着は、同日の午後6時。なんと出発の「45分前」である。タイムマシンに乗った気分だった。飛行時間は12時間余りだが、ニューヨークは13時間日本から遅れている。
「JFK」はアメリカの玄関口のような空港なのでさぞ立派かと思ったが、東京便からの乗客が並ばされたのは野外で、バラックのような建物の前だった。別にニューヨークに用事があるわけではなく、ブエノスアイレスに向かう便に乗り換えるだけなのだが、まるで貨物船でリバプールからニューヨーク港に着いたアイルランド移民のように長時間並ばされ、入国審査を受けなければならなかった。
ブエノスアイレスに向かうパンナムの201便は午後9時出発。この機はリオデジャネイロで2時間のトランジットタイムがあるが、そこで機材がボーイング747(ジャンボ=約350人乗り)からボーイング707(約100人乗り)に変わる。リオデジャネイロまでは、日本サッカーリーグのフジタ工業で活躍する小柄なFWセイハン比嘉さんといっしょになった。
ブエノスアイレス到着は5月28日の午前11時30分。日本とアルゼンチンの時差は12時間。羽田を出てからほぼ29時間の旅だった。