■ロシア大会からの蓄積と“仕掛け”

 もしかすると今大会で、森保ジャパンはPK戦には持ち込まれないかもしれない。というのも、90分で押し切れる力をここまで見せているからだ。2022年カタールW杯以前から各段の成長ぶりを示しているが、ここまで順調にチーム作りを進めることができた要因は何なのだろうか。

「やはり2018年ロシアW杯の経験値が大きかったと思います。この大会を前にヴァイッド・ハリルホジッチ監督に代わって西野朗監督が就任したとき、東京五輪を控えていた森保監督をコーチとして呼びました。

 西野監督は技術委員長だったから、将来的に森保監督にSAMURAI BLUEを任せるという構想があったと思います。私はそのとき副委員長として西野監督の構想を聞かせてもらったり、“仕掛け”もずっと見てきました。そしてあのとき森保監督をW杯に挑むチームに入れたことが現在につながっています。

 2022年カタール大会から2026年北中米大会に繋がったということではなくて、実は2018年のロシアからも仕掛けてあるわけです。森保監督はロシアW杯の4試合を、チームの中にいて体感しました。実際に相手をどう分析して、どう戦って、どういう差があったかをつぶさに見てきたことが、22年のカタールに繋がっていきました。

 実際にコーチとして体感した監督がカタールに、そして次の北米に行く。3大会でピッチでもロッカールームでも一緒にチームの中にいて、W杯を経験できる。この経験値は大きいと思いますね。この経験値こそが日本の財産だと思います。森保監督は今、決勝トーナメントから先の話を描いていると思うのですが、それができるのもこの継続があるから。

 これまでの経験値、22年で言えば、ベスト16のクロアチア戦からいろいろなことを学び、18年ベスト16のベルギー戦で感じたことを総合して、いろいろなことを考えていると思います」

(取材・森雅史)

 

■山本昌邦プロフィール■

やまもと・まさくに 1958年4月4日生まれ。
選手時代をヤマハ発動機サッカー部(現・ジュビロ磐田)で過ごし、サッカー日本代表としてもプレー。引退後は指導者の道を歩み、同部でのコーチを務める。その後、日本代表のコーチとしてフィリップ・トルシエ氏やジーコ氏を支え、2004年のアテネ五輪では日本代表監督を務める。そして、ジュビロ磐田の監督に就任し、Jリーグでも指揮を執った。今年2月から、日本サッカー協会のナショナルチームダイレクターの職に就く。

(3)へ続く
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