■荒井さんが求めたもの
「20年後のサッカーだよ」
大会中、荒井さんからそんな表現を聞いた。そのときには、正直に言って「そこまで言うかな」と思った。だが10年経っても20年たっても、世界のトップクラスのチームのコーチたちの夢は「1974年のオランダ」だった。「トータルフットボール」と呼ばれたオランダの域に初めて近づいたのは、1980年代終盤のACミラン(イタリア)だっただろうか。このチームを率いたアリゴ・サッキも、「1974年のオランダ」の再現を夢見る監督のひとりだった。
荒井義行さんは、そんなジャーナリストだった。自分自身の「理想のサッカー」をもち、それに必要な要素を考え、その基準で当時の日本サッカーリーグや日本代表チームを批評していたのだから、批判されるほうはたまったものではなかっただろう。困惑し、大いに怒ったかもしれない。しかし荒井さんはそんなことを斟酌せず、ひたすら世界に対抗できる日本のサッカーになることを願っていた。