■オランダ代表を分析
1970年大会を「ダイヤモンドサッカー」で見て、「のんびりとした印象がある」と、荒井さんは感じた。大会が行われたメキシコは高地でしかも暑さが厳しく、さらに欧州での中継放送に合わせて正午キックオフという条件が重なり、多くのチームが体力を温存するサッカーをしていた。ブラジルのテクニックは美しかったが、荒井さんの「サッカー哲学」には合わなかった。
正確なワンタッチコントロールだけでなく、スピード、運動量、切り替えの速さ、そしてそれを担保する「肉体的な強さ」こそ、荒井さんが見たいと思う「これからのサッカー」だった。1970年代初頭の日本のサッカーは、ワールドカップで世界を圧倒したブラジルのテクニックに傾倒していたから、荒井さんの論調は「異端」だった。
1974年大会、オランダは「1次リーグ」をウルグアイに2-0、スウェーデンに0-0、ブルガリアに4-1の2勝1分け、首位で乗り切り、「2次リーグ」はアルゼンチンに4-0、東ドイツに2-0、ブラジルに2-0と3連勝して決勝にコマを進めた。ところが西ドイツとの決勝戦では立ち上がりにPKで1点リードしながら、前半のうちに逆転されて1-2で敗れた。優勝を逃しても、オランダのサッカーは世界に衝撃を与えた。
ボールを奪われたら最前線から相手にプレスをかけ、中盤を極端に狭くしながら果敢にスライディング・タックルをかけ、ボールを奪い取る守備。取った瞬間から前向きの選手がポジションに関係なくどんどん出ていってボールを受け、時間をかけずに攻め崩す―。現代のサッカーのトレンドの話ではない。半世紀も前、1974年のワールドカップでオランダ代表が実現したサッカーが、これだった。
「オランダの速さは、中盤でのボールの奪回、クライフの突破力、ダイレクト・パス(筆者注:ワンタッチパスのこと)にある。中盤での果敢なスライディング・タックルによるインターセプト攻撃は、後方から攻撃を組み立てるよりも距離的に相手ゴールに近いだけ、攻撃に速さがでる」(荒井義行、『サッカーマガジン』1974年9月号)
「ミケルス(筆者注:オランダ代表のリヌス・ミケルス監督)は『虐待者』というあだながつけられている。一日を三回にわけたスピードを要求する練習。砂浜で200ヤードダッシュの繰り返し。オランダの流動的なサッカーは、スピード、スタミナ、やわらかい体――充実した肉体的な能力に支えられている」(荒井義行、『サッカーマガジン』1974年8月号増刊)