著者紹介
大住良之/Yoshiyuki OSUMI

大住良之/Yoshiyuki OSUMI(おおすみよしゆき)

1951年神奈川県横須賀市生まれ。中学1年生のときに校内誌の編集部にはいり、中学3年からはかけもちでサッカー部でも活動。大学卒業4年生の1973年から『サッカー・マガジン』編集部で働き、1982年以降はトヨタカップなどのチーム取材で欧州と南米の強豪クラブを取材。1988年にフリーランスとなる。以後は日本代表とJリーグの取材が中心となるが、ワールドカップは1974年ドイツ大会から、オリンピックは1996年から取材。『東京新聞』や「日経電子版」などコラムを書く一方、1984年以来東京の女子サッカークラブ「FC PAF」の監督を務める。JFA公認C級コーチ、サッカー4級審判員。

「大住良之(おおすみよしゆき)」の記事一覧
唯一の「無敗」で出場「スター軍団」擁する隣国!エース不在も「日本を下した」南の大陸【日本のライバル「北中米ワールドカップ出場」アジア5か国の実力と「3月まで終わらない」予選の行方】(2)
大住良之
エースは21歳ドリブラー「初出場」の注目国、相手の弱点を突く「名将」率いる伝統国【日本のライバル「北中米ワールドカップ出場」アジア5か国の実力と「3月まで終わらない」予選の行方】(1)
大住良之
秋の6試合で「試したい」2つのシステム、「解決したい」唯一の弱点、「停滞がない」7年目の森保監督【サッカー日本代表「北中米ワールドカップ」頂点への大激論!見えた「希望」と「課題」】(7)
大住良之,後藤健生
9月の遠征「当落線上」の三戸舜介、「赤いバラをつけた」佐野海舟、「もう中心選手」の20歳【サッカー日本代表「北中米ワールドカップ」頂点への大激論!見えた「希望」と「課題」】(6)
大住良之,後藤健生
「心配される」1人ベンチ外の長友佑都、E-1選手権で「試したい」浦和レッズ13番とU-20代表【サッカー日本代表「北中米ワールドカップ」頂点への大激論!見えた「希望」と「課題」】(5)
大住良之,後藤健生
W杯行きの「可能性がある」遠藤航の後輩、「さらに化ける」ドリブラー、森下龍矢は「すごかったけど…」【サッカー日本代表「北中米ワールドカップ」頂点への大激論!見えた「希望」と「課題」】(4)
大住良之,後藤健生
エースFW候補は「町野修斗超え」総合力ナンバー1、佐野海舟のプレーが「変化した」2つの理由【サッカー日本代表「北中米ワールドカップ」頂点への大激論!見えた「希望」と「課題」】(3)
大住良之,後藤健生
遠征に「食い込む」選手、「1人は欲しい」伊東純也タイプ、「現れなかった」本当のエース【サッカー日本代表「北中米ワールドカップ」頂点への大激論!見えた「希望」と「課題」】(2)
大住良之,後藤健生
「驚いた」招集メンバー、「伸びている」新戦力、「やはり違った」中村敬斗【サッカー日本代表「北中米ワールドカップ」頂点への大激論!見えた「希望」と「課題」】(1)
大住良之,後藤健生
大住良之の「この世界のコーナーエリアから」第165回「延長戦はサッカー界の“特別な時間”」(3)直近8大会のワールドカップ決勝は延長戦「5回」とPK戦「3回」、ハットトリックのエムバぺが神の子メッシに敗れる「ドラマ」も
大住良之
大住良之の「この世界のコーナーエリアから」第165回「延長戦はサッカー界の“特別な時間”」(2)日本人が「絶対に忘れない」野人のゴールデンゴールだけじゃない! Jリーグから「消えた」Vゴールと「知る人ぞ知る」シルバーゴール
大住良之
大住良之の「この世界のコーナーエリアから」第165回「延長戦はサッカー界の“特別な時間”」(1)欧州サッカー連盟で検討された「いきなりのPK戦」、勝者を決めるために「再試合から進化」、採用後50年以上たって「廃止されたルール」
大住良之
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