■クラブの新しい変化
――三笘選手の著書には、彼が世界的な名ドリブラーになぜなれたのかが書かれていますが、さぎぬまSCならではの独自の練習法はありますか?
年に1度、サッカーに特化した運動会を開いています。例えば、小学5~6年生は、途中でボールを落としたらスタートからやり直しというルールで、130メートル前後のトラックでリフティング競争をさせます。上手な子は、一度も落とさずにゴールしますよ。また、5メートル幅の目標に、誰が一番正確で遠くにボールを蹴れるかといったゲームがあったり、小学1~6年生まで全員が参加するPK戦をしたり、そうやって楽しみながら、個人の能力を測っています。
日々の練習だと、ドリブル中の視野を広げるために、コート外から数字を表示して、それを当てさせるという訓練をやっています。学年が上がれば、その数字を掛け算させるなど、ちょっとした遊び感覚にしていたので、選手も楽しんで取り組んでいましたよ。
――日本代表選手を輩出したことで、練習に変化はありましたか?
権田選手の活躍を見て、月に一度、外部コーチを招いてのキーパー練習をするようになりました。特に、8人制サッカーの試合では、キーパーは8人目のフィールドプレーヤーなので、バックパスをファーストタッチで逆サイドに回せるといった、細かい技術が求められます。ならば、本格的に指導をすべきかなと考えました。また、メンバーは固定せず、みんながキーパーをできるように練習していますね。
――その中から、未来の日本代表選手たちが生まれるかもしれませんね。最後に一言お願いします。
鷺沼小学校には東京オリンピックの時に、PTAと町内会でお金を出し合って作った「鷺沼から世界へ」という横断幕が掲げられています(現在のものは、ワールドカップに向けてクラブで作り替えたもの)。三笘選手、田中選手、板倉選手、権田選手のように、彼らに憧れる子どもたちが、彼らを超えるような選手になって、川崎市や日本のサッカーを盛り上げてくれると嬉しいです。
さわだ・ひでじ
1958年5月17日、大阪府生まれ。長男のさぎぬまSC加入により、サッカーに携わるようになる。以降、チームの監督を務めるなどし、2004年には代表に就任。のちに日本代表となる、三笘薫、田中碧、板倉滉、権田修一らを輩出した。現在は、川崎市サッカー協会4種役員や宮前区少年少女サッカー連盟委員長も務める。