■ストイコビッチが残したもの
ドラガン・ストイコビッチは、旧ユーゴスラビア、現セルビアの英雄であり、名古屋グランパスでJリーグ30年間のMVPクラスの活躍をし、後に監督となって名古屋をJリーグ優勝に導いた人だが、彼も変わった移籍金の経験をもっている。
生まれ故郷のクラブ、ラドニツキ・ニシュでプレーしていたストイコビッチを、1986年、ユーゴスラビア随一のクラブであるレッドスター・ベオグラードが引き抜いた。移籍金としてレッドスターが提供したのは、4基の照明塔だった。1963年に建設されたニシュのチャイル・スタジアムには、照明塔がなかったのだ。
ノルウェーでは、3部リーグのライバル同士のクラブ間の移籍に「エビ」が使われたことがある。2003年、FWケネス・クリステンセンがライバルのフロイILに移籍したがっているのを知ったビンドビヤルドFKは、「移籍金」として「クリステンセンの体重分のエビ」を求めた。彼らのホームタウンは内陸部にあり、フロイのホームタウンはノルウェー南部の島で漁業が盛んなのである。次の両クラブの対戦日に、クリステンセンは両クラブの役員の前で体重を量った。その結果、エビ75キロがビンドビヤルドに贈られた。