■2人の「レオ」

 ジュニオルはサッカー選手としての適性は間違いなくボランチ、あるいは攻撃的MFだった。ブラジル代表の10番をつける資格は十分ある才能あふれる選手だった。しかし彼は左サイドバックというポジションでフラメンゴやブラジル代表のなかに不動のポジションと世界的な名声を築き、後にボランチとしてチームを支えた。

 ジュニオルの最大の武器は最高クラスのテクニックと試合を読む目、そして周囲の選手を動かす力だったが、もちろん守備も一級品だった。彼がプレーしていた時代、彼のサイドが穴になるというようなことはまずなかった。旗手も、川崎とU-24日本代表で左サイドバックとしてプレーするうちに、しっかりとした守備を見せるようになった。父譲りの強いフィジカルがその助けになったのは言うまでもない。

 1984年、イタリアに移ったジュニオルは、「レオベジルド」というファーストネームから「レオ・ジュニオル」と呼ばれるようになった。まったく偶然のことではあるが、旗手も「レオ」である。

 私は、旗手ならジュニオルの足跡をたどれるのではないかと考えている。そして彼が左サイドバックとして日本代表のなかに確固たる地位を築いたとき、日本代表はまた一段階高いレベルに行けるはずだ。

 旗手よ、ジュニオルにならないか?

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