■黄金の4人とジュニオル

 ブラジル代表デビューは1979年。左サイドバックとして不可欠な存在となり、1982年に行われたワールドカップ・スペイン大会に出場する。

 この大会のブラジル代表は、大会中に4-3-3システムから4-4-2システムに変更し、2戦目以降は中盤にジーコ、ソクラテス、ファルカン、トニーニョ・セレーゾの4人が並んだ。彼らがつくり出すパスワークを主体とした攻撃は世界のファンを熱狂させ、「黄金の4人」と呼ばれた。

 しかし実際には、左サイドバックのジュニオルが左から中盤に加わったことが重要な要素だった。イタリアとの2次リーグの試合で相手ペナルティーエリアの右角でボールを受けたファルカンの外をトニーニョ・セレーゾものすごい勢いで回っていったシーンがあった。イタリアの守備がそれに気を取られた瞬間、ファルカンは自ら内側にもってはいり、左足で強烈なシュートを決めた。

 この2人はいわゆる「ボランチ」である。「攻撃的MF」であるジーコとソクラテスだけでなく、ボランチの2人までこうして「後顧の憂い」なく攻撃に加わることができた背景には、ジュニオルの存在があった。私は当時、「黄金の5人」と呼ぶべきだと考えていた。

 右サイドバックは同じフラメンゴ所属のレアンドロという選手だったが、こちらは伝統的な右サイドバック・タイプで、タッチライン沿いのプレーを得意としていた。しかし左サイドバックのジュニオルは、もちろん、ときに左を突破して左足でクロスを送るというプレーも見せたが、多くの時間は、中盤にはいり、ゲームメークを担当した。右利きのジュニオルは左サイドバックのポジションから相手ゴールに向かって前進していき、チャンスがあれば右足でシュートを打った。

 今日ではサイドバックの中盤進出は世界の潮流だが、ジュニオルはまさにその先駆けだった。それが40年以上も前のワールドカップで実現されていたという事実に、ジュニオルという選手の偉大さがある。

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