■ボランチとしてイタリアへ
1984年、ジュニオルは10年間にわたってプレーしたフラメンゴを離れ、30歳にしてイタリアに移る。そしてイタリアで5シーズンを過ごした後、1989年にフラメンゴに戻り、さらに4シーズン、39歳までプレーするのだが、フラメンゴでの通算出場857試合はクラブ記録として残っている。
イタリアでの移籍先はトリノ。彼は世界的に有名になった左サイドバックではなく中盤でのプレーを要求、それが受け容れられ、トリノをセリエA2位に導く活躍を見せた。そして1986年のワールドカップ、トニーニョ・セレーゾを欠き、ファルカンとジーコがコンディション不良のなか、ボランチとしてチームを支えたのはジュニオルだった。
1992年、38歳で出場したドイツとの親善試合を最後にブラジル代表を引退。その後は47歳までビーチサッカーのブラジル代表として活躍した。ビーチサッカーを世界に広めるにあたって、ジュニオルの果たした役割は非常に大きいと言われている。