■入り混じっていた期待と不安

 選手たちだけでなく、サポーターにとっても今では中東はお馴染みの場所となっています。

 しかし、初めて中東諸国を訪れた頃は「中東って、いったいどんな所なのだろう?」と不安がいっぱいだったことを思い出します。

 日本代表が初めてドーハで戦ったのは1983年のことで、その後、1988年のアジアカップにも、バルセロナオリンピック予選を目指す若手主体の日本代表が予選を勝ち抜いて参加しましたが、本大会では各国のA代表を相手に1引き分け3敗という惨憺たる結果に終わりました。

 多くのサポーターが初めて中東を訪れたのは、1993年のアメリカ・ワールドカップ1次予選の時でした。

 アラブ首長国連邦(UAE)、タイ、バングラデシュ、スリランカが参加した1次予選F組は、前回1990年イタリア・ワールドカップに参加したUAEとハンス・オフト監督の下、1992年のアジアカップで初めて優勝した日本の事実上の一騎打ち。日本とUAEで、それぞれ総当たりリーグ戦を行う「ダブル・セントラル」方式で行われました。

 1993年4月に行われた日本ラウンドでは日本が4戦全勝で終了。日本ラウンド終了から10日後にはUAEに場所を移して第2ラウンドが始まりました。UAEの試合はすべて内陸のオマーンとの国境にあるアル・アインで行われ、それ以外の試合はドバイのアルマクトゥーム・スタジアム(アル・ナスルのホーム・スタジアム)が会場でした。そして、この時初めて、数多くの日本代表サポーターが中東地域に乗り込んだのです。

(2)へ続く
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