「つながりを再確認」佐久間悟社長が語る「理想の姿」中田英寿も輩出した“全国3位”サッカー王国・山梨の夢【甲府に新サッカースタジアムを!】(3)の画像
地域に連帯感をもたせ、少年少女に夢を与える―。スタジアムは「地方創生の旗頭」になると、甲府の佐久間社長は訴える (図は山梨県の基本計画検討委員会報告書より)
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 今年度の天皇杯は、ヴァンフォーレ甲府の優勝で幕を閉じた。来季はJ2クラブでありながら、ACLを戦う。甲府の偉業はけっして偶然ではなく、だからこそフットボールスタジアムが必要である。サッカージャーナリスト・大住良之は、そう訴える。

■サッカーを愛する山梨県民

 1970年代から1980年代にかけて韮崎高校のサッカー部が全国的な強さを誇り、高校総体で優勝1回、全国高校選手権ではベスト4進出11回、うち5回は決勝戦に進出という成績を残した。さらに、この学校から、1990年代から2000年代にかけて日本代表を牽引しただけでなく、世界的にも高い評価を得た中田英寿が輩出されている。

 だが山梨県を「日本でも有数のサッカー王国」と書く理由はそれだけではない。実は人口比の日本サッカー協会(JFA)登録選手数で、山梨県は全国3位なのである。2022年に総務省が発表した山梨県の人口は83万4930人。それに対してJFA登録選手数は7810人。0.94%である。この比率が、佐賀県(1.00%)、静岡県(0.98%)に次いで3位ということになる。日本の全人口が1億2709万4745人。対するJFA登録選手数は82万6906人。全国平均が0.65%であることを考えると、この県でいかにサッカーが愛されているかがわかる。

 山梨県の「サッカー事始め」は、山梨師範学校(現在の山梨大学教育人間科学部)と言われている。1913(大正2)年11月に修学旅行できた埼玉師範学校と対戦したという記録がある。そしてその後県下各地の学校でサッカーがプレーされるようになる。そうしたなか、韮崎中学(現在の韮崎高校)が1936(昭和11)年の全国大会で準優勝を飾り、山梨県のサッカー熱を一挙に高めた。山梨蹴球連盟(現在の山梨県サッカー協会)が誕生するのは、この翌年のことであり、戦後になると、韮崎高校は全国的な強豪校として活躍することになる。

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