■年間予算が10万円だった時代

 そしてこの日本代表を指導したデットマール・クラマー・コーチ(1925―2015)の提言により、翌1965年、日本サッカーリーグ(JSL)が誕生し、当然のように三菱重工(1964年に社名変更で「新三菱重工」から「三菱重工」となった)も参加する。だがチームのありようが急に変わるわけではなく、部の予算は年間10万円、活動も週末だけという状態のままで初の全国リーグに突入したのだ。

 そして森もサッカーに引き戻される。加盟8チーム、シーズン14試合といっても通年のリーグを戦うには選手が足りず、森は背番号14を与えられてピッチに立つようになったのだ。6月20日の第3節に交代で初出場すると、以後、先発5試合、交代出場2試合、計8試合に出場を果たす。ポジションはMFだった。JSL初年度、三菱は4勝1分け9敗で8チーム中5位に終わった。

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