■手を離さなかったサッカーの神様

 似島の話が長くなりすぎた。森の父・芳麿は、福山から家族を呼び寄せ、以後の人生をこの似島で原爆孤児の養育と教育に捧げるのである。そして9歳になったばかりの森と、6歳年下でまだ3歳の誕生日を迎えていなかった弟の孝慈(1946―2011、後の日本代表選手、日本代表監督、浦和レッズ監督など)は、この似島で少年時代を過ごすのである。

 1950(昭和25)年、森は広島市内の私立・修道中学校に進む。父の期待は、しっかり勉強して東京大学に進学することだった。中学2年までの森は文学少年だったという。福山時代は野球が得意で、ピッチャーやショートで活躍したが、修道にはいってみるとサッカーが校技で、サッカー部ばかりが大きな顔をしていた。それが気に入らず、野球部にはいるのをやめた。このころは似島の実家から通っていたが、夏目漱石や森鴎外に引き込まれ、往復の船でも本を手放さなかった。

 だが嫌われても、サッカーの神様は森を手放さなかった。中学3年になったとき、高校生の先輩が「サッカーをやってみないか」と声をかけてきたのだ。修道は中学から高校までの一貫校である。サッカー部も高校生が中学生のめんどうを見ていた。声をかけたのは、高校3年の黒木芳彦(後に藤和不動産サッカー部=現在の湘南ベルマーレ=の初代監督)だった。「野球少年」だった森だが、似島に移ってからサッカー遊びも覚えた。体が大きく、サッカー部顔負けの森のキックに、黒木はほれ込んだのだ。

 父・芳麿はサッカー部にはいることに賛成ではなかった。修道でも成績が良かった森を、スポーツではなく、学業に励ませたかったからだ。しかしサッカー部の練習が終わるともう似島へ帰る船はない。森は広島市内で下宿生活を始める。そしてサッカーの神様は、さらに森を引き込む巧妙な罠を仕掛ける。

(3)へ続く
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