■代表選手たちが愛した背番号

 1968年のメキシコ・オリンピックで7得点を挙げて得点王となり、日本を銅メダルに導いたストライカーの釜本邦茂さん(78歳)は、釜本美佐子さんの実弟である。そしてメキシコ・オリンピックで釜本邦茂さんが背中に付けていたのが、「15番」だった。もちろん、当時のユニホームには選手名などはいっておらず、番号だけだったが…。

 プロ時代になって以後、日本代表では、常連になると、固有の番号が与えられるのが慣習になっている。プロ時代の初期には、ラモス瑠偉の10番、カズ(三浦知良)の11番は、ずっと変わらなかった。22番と言えば、ある時代には中澤佑二のものであり、また現在は吉田麻也のイメージそのものだ。本田圭佑は2010年のワールドカップでは18番だったが、その後「4番」という、アタッカーとしては変わった番号を自ら選び、それで押し通した。

 釜本邦茂が日本代表として活躍していいた時代にも、そうしたことはあった。釜本といえば、所属のヤンマーディーゼルで16シーズンにわたって付け続けた「9番」のイメージが強いかもしれない。しかし日本代表では好んで15番を付けたのである。1964年の東京オリンピックでも、そしてもちろん、4年後のメキシコ・オリンピックでも。

(2)へ続く
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