大住良之の「この世界のコーナーエリアから」第92回「カマモトといえば背番号15」(1)ブラインドサッカー日本代表から贈られたユニホームの画像
東京パラリンピックで背番号11から「15」に着替えるシーンがあった黒田智成 写真:YUTAKA/アフロスポーツ

 サッカーは無数のディテール(詳細)であふれている。重箱の隅をつつくような、サッカージャーナリスト・大住良之による「超マニアックコラム」。今回は、なぜブラサカ黒田智成選手の背中に「15」があったのかについて。

パラリンピックで奮闘した日本代表

 私が所属しているスポーツジャーナリストの団体「一般社団法人日本スポーツプレス協会(AJPS)」が例年開催している「AJPSアワード」。ことしの受賞者に日本のブラインドサッカーをその草創期から牽引してきた釜本美佐子さん(前・NPO法人日本ブラインドサッカー協会理事長)が選ばれ、6月23日、東京都内で表彰式が行われた。

 昨年のパラリンピックに向けた報道のなかでブラインドサッカーもよく知られる競技になってきたが、それまでは一般の理解も低く、日本の統括団体ができる前には、釜本さんが孤軍奮闘という形でスポンサー探しなどに奔走した。目が不自由になる前には伝説的なツアーコンダクターであったことから得意だった語学力や対外交渉の力、人と人を結びつける力をフルに発揮して、釜本さんはエネルギッシュな活動で日本のブラインドサッカーを国際舞台に押し出した。

 東京パラリンピックを前にした2018年に長年務めた理事長を退任、以後は「サポーター」の立場から応援に回り、昨年のパラリンピックでの日本代表の活躍ぶりも「ラジオ」で聞いていたという。

 しかし選手たち、なかでも草創期から日本代表として活躍してきたベテラン選手たちは釜本さんへの感謝の気持ちを忘れてはいなかった。日本は初戦でフランスに4-0で快勝したものの、その後はブラジルに0-4、中国に0-2と連敗し、5/6位決定戦に臨んだ。相手は世界ランキング3位のスペイン。序盤から攻め込まれたが、全員の献身的で集中した守備で防ぎ、前半終了間際に川村怜の浮き球のパスを黒田智成が豪快に決めて先制。後半の苦しい戦いもしのぎきり、1-0で勝利をつかんだ。

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