民主的な国家がオリンピック開催を躊躇する中で、専制主義的な国は国威を発揚するため、あるいは政治体制の優位を宣伝するために、国家予算を投じてオリンピックを開催しようとしたのだ。

 日本政府は、1937年に東京オリンピックの開催返上を決めた。同年7月に日中戦争が始まったからだったが、もし、日本が開催を強行したとしたら1940年大会はボイコット問題で大揺れになっていたことだろう(日本の返上決定後、同大会はフィンランドのヘルシンキで開催されることが決まったが、1939年に第2次世界大戦が勃発したために中止となった)。

■スポーツを「真に持続可能」にするために

 21世紀を迎えた今日、スポーツはビジネス的にも成功している。

 入場料収入やグッズ販売と言った古典的なビジネスはともかく、テレビ放映権料やネット配信契約などで活動資金は得られるはずだ。もちろん、アメリカの3大スポーツやヨーロッパのサッカーのような潤沢な資金源を持つ競技は少ないかもしれない。だが、オリンピックの収入を配分すれば、あるいは人気競技が資金を配分すれば、「マイナー競技」も継続可能なのではないか。

 いつまでも「ロシアン・マネー」や中東の「オイルマネー」などに依存せずに、スポーツ界は自らの営業活動によって獲得した資金。あるいは、株式を上場するなどして集めた真の意味での「投資」資金を使って活動していくべきなのではないか。そうした“正当な”資金によって活動することこそが道徳的に正しいのと同時に、真の意味で「持続可能」な仕組みなのではないだろうか。

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