大住良之の「この世界のコーナーエリアから」第84回「戦争とサッカー」(2)「サッカー御三家」広島をレベルアップさせたドイツ兵の画像
捕虜兵との「交流」がなければ、広島はサッカーどころにはならなかったかもしれない 撮影:原壮史

 サッカーは無数のディテール(詳細)であふれている。サッカージャーナリスト・大住良之による、重箱の隅をつつくような「超マニアックコラム」。今回は「20世紀名物」について。

■日本のサッカーに影響を与えた第一次世界大戦

 第一次世界大戦は、日本のサッカーにも少なからぬ影響を与えた。この当時、日本は1902年に締結された「日英同盟」に従って連合国側に立っていた。そしてドイツに宣戦布告をし、1914年の10月から11月にかけてドイツの租借地になっていた中国の青島を攻撃、ほとんど無抵抗のまま占領した。そして4700人ものドイツ兵を捕虜にした日本は、第一次世界大戦終了の翌年、1919年まで、彼らを国内数カ所の捕虜収容所で暮らさせた。そのひとつが、広島湾に浮かぶ似島という島だった。

 広島は日本で最初にサッカーをプレーし始めた地域のひとつで、明治23(1890)年には江田島の海軍兵学校でサッカーがプレーされ、明治35(1902)年にできた広島高等師範学校にはサッカー部がつくられた。そして明治44(1911)年には県立広島中学(後の広島一高、現在の国泰寺高校)の弘瀬時治校長が母校の東京高等師範学校からサッカー指導者として松本寛次を呼び、広島のサッカーはますます盛んになった。

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